『ラヴ』が発売されることになっていた年の秋、ぼくはニューヨークに滞在していた。当時、それがきまりみたいになっていた年2回(春・秋)のぼくの休暇のパターンだった。ニューヨークに滞在していても、昼間はDDBやPKL、WRGを訪問取材するだけで、夜は劇場や酒場に行くわけではなく、ホテルで資料の整理をしているか、パーカー夫人(DDBの副社長兼コピースーパバイザー)が催してくれるホーム・パーティに顔をだすかであった。そんな時、WRGが化粧品を扱う---製品名も容器のデザインもWRGがディレクティンクしているとのうわさを聞いた。発売日まで滞在できなかったので、ニューヨーク在住のOさんに観察を頼んで帰国した…